日記

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投稿日:2012年10月31日(水) 1:05:27

渋谷O-nestという巣のこと
12月16日(日)の主催イベント、会場の渋谷O-nestに下見に行って来た。

渋谷O-nestという巣のこと
今回の主催ライブをnestにしたのは、明確な理由がある。
写真展を同時開催するのだ。

写真家の吉永陽一さんの作品「空鉄」を展示する。
空から撮った写真を空を眺めながら味わう。そういうのにうってつけが、この渋谷O-nestだったというわけだ。十分なスペースや設置場所があるかの確認。OK。いけそうだ。

渋谷O-nestという巣のこと
トークの場所の雰囲気もバッチリ。
一気にテンションがあがってきた。

O-nestはライブハウスとしてオープンする頃から知っている場所。
今日はその話でもしようかな。

僕が初めて歌ったライブハウスはマイカルシアター本牧といって、
音も雰囲気も人も最高に居心地がいいのに、とにかく横浜からアクセスが悪かった。

大学3年になりたての僕は路上ライブで出会ったアーティストのライブを見に、石川町からバスに乗ってわざわざそこへ行って、見つけたお知らせに書かれてあるとおりオリジナル曲のデモテープを提出するに至った。そうすることで出演の足がかりを得たわけだ。
歌心をわかってくれる担当の田村さんが、愚にもつかない学生風情の僕に、うたうたいとしての場を与えてくれた。それで、「TAKU」として僕は音楽活動をスタートをきることができた。

そのマイカルシアター本牧がなくなって、
中のスタッフさん達がごっそり渋谷に異動するらしい・・

聞いたときはびっくりした。

おそらくマイカルシアターの前身の「横浜ビブレ」っていうライブハウスを閉めるときも同じような騒ぎだったんだろうだろうな。とにかく動揺して、田村さんを追ってその渋谷という東京のライブハウスのドアを叩くことになった。

そこが、渋谷nestというライブハウスだった。

「nest・・巣って意味ですよね。」
知った顔で生意気にそう言った記憶がある。

最初の仮住まい感バリバリの掘っ立て小屋みたいだった楽屋を今でも覚えてる。
その後経営母体が変わったり、ロックなハコになったり紆余曲折を経て、今の渋谷O-nestがある。田村さんは皆を仕切る立場の人になって、今は向かいEASTの上の事務所にいる。

僕にとっての初・東京である渋谷nestに出演し続けるには、沢山のお客さんを呼ばなきゃいけなかった。
毎週土曜、欠かさず渋谷駅ハチ公口に立って「◯月◯日渋谷nest」って看板を出して喉が潰れるまで歌った。お陰で沢山の人と出会って、渋谷nestで何回も何回も「ありがとう」って言った。

横浜と違うのは、音楽業界の方が沢山僕のうたを聞いて、足を止めてくれる場所であったということだ。
渋谷nestには沢山のそうした方々を招待した。「海の底」っていう曲の評判がよくて、ライブ後顔も見ずに帰られたり、デビューへの足がかりを掴みかけては既の所で逃したり、慣れないバンドを組んでは解散したり、試行錯誤と後悔と一粒の歓喜が光っていた場所だ。もちろん、汗も涙も大量に流した。わかりやすく流した。「言葉はいつも」っていう曲もこの頃かな。ひねりすぎて何がまっすぐか分からなくなってた。恋愛の曲は一切書かなかった。

「STILL」っていう歌があるんですが、
あの曲が生まれたのはここ渋谷nestでのライブがきっかけだった。あろうことか、デビュー直前だか直後だかのクラムボンさんと対バンして、いつもみたくリハーサルを見てた。

鍵盤で8分(はちぶ)でコードを叩くように弾いて歌ってた曲(たぶんデビュー2曲目の「パンと蜜をめしあがれ」)がすっごい素敵で「あれかっこいい!ああいう曲作りたい」ってすぐデモ作って、当時一緒にライブ手伝ってくれていた田口さんにお願いして、8分で鍵盤を叩くような曲を完成させた。

その後「STILL」とか「タバコ」っていう、歌ってると胸が痛くなって堪らない曲たちに引っ張られて、沢山の番組への出演話を頂いた。路上ライブでも沢山CDが手売りで売れていった。CMソングやら、日テレの後ろ楽しいガーデンやらに呼んでもらえるようになった。その頃はタモリさんのマネージャさんの後藤さんて方にお世話になってた。その話もなんだかおじゃんになって、今度こそ!って毎月新曲をやり続けて、前の事務所にお世話になることになりデビューへの切符を手にした。

「全力投球」っていうDISK GARAGEのイベントがあって、すごく好きだった。
ロックのバンドも、歌ものの子も大小の会場で渾然一体となって出演するイベントで、なおとくん(ナオトインティライミ)だったり、土屋礼央くんのズボンドズボンだったりsuperflyだったり色んな人たちとご一緒させてもらい、沢山のきっかけをもらった。EAST見に来てたさかいゆうくんともそこでお会いしたっけなー。

前の事務所の成瀬さんが本当に可愛がってくれて、ブッキングを入れてくれたお陰で7th Floorっていう渋谷nestの上のライブハウスでよく歌わせてもらっていた。多分あそこでドリンクバーっていう曲を歌わなかったら、RAG FAIRのみんなにOld Fashioned Love Songを歌ってもらってなかったと思う。

nestは6F/5Fの2フロアで構成されるんだけど、nestの6Fがちょうどその「全力投球」ってイベントでは7thFloorの楽屋のようになっていて、ミュージシャンがたまってた。
新横浜のライブハウスでよくご一緒してたいきものがかりのみんなの7th Floorライブが抜群に良くて「本当に良くなったねー!びっくりしたー!」って言ったという恥ずかしい思い出がある。その後の彼らはご覧のとおりだよね。日本の隅々にまで届く歌をうたうグループになった。

随分と書きすぎてしまった気がするけど、
渋谷O-nestというのは僕にとってそういう場所。

想いが強すぎて
傷だらけのヒリヒリで、
ちょっと出るのは覚悟が要る場所。

そこでまた自分の主催イベントをやらせてもらえるなんて、ほんと、
光栄以外の何者でもない。今の僕のうたは、どんなふうに響くんだろう。

12月か。

巣を暖かい場所に創りあげたい。
今の僕の歌で、それができるか試したいんだよね。

投稿日:2012年10月17日(水) 1:22:46

出歩かなきゃ出会えない
喋っても分かり合えないだろうなぁ、ってジャンルの人も、
言葉じゃないコミュニケーションなら、意外と打ち解ける。

そんな時、音楽ってとても便利。

この日はきなこちゃんという、
素敵なバイオリン弾きに出会いました。

うちに篭ってちゃ、開けない扉がある。
声をかけてみる、かけられた声を受け入れてみる勇気。

それがあったから繋がってる縁ってあるでしょう?

今の自分って、
そんなちょっとのことの積み重ねなのかもね。

投稿日:2012年10月01日(月) 22:47:21

郡山慰問ライブ
エフエム世田谷・サンプラザ中野くんのせたがやたがやせに出演。
http://spnk.at.webry.info/

郡山慰問ライブ
震災後、サンプラザ中野くんが作曲した「地震が来たら」という曲を通して被災地に元気を届ける為、慰問ライブへの参加を続けています。

今回は福島県郡山市、富田小学校。
体育館に自分達でPA機材をセッティングして、ライブを開始。

まずEternal Journeyの二人には楽曲提供した「花の雪」という歌を歌ってもらい
自分の歌う部分では「青空」という歌を歌わせてもらい、
更にサンプラザ中野くんのサポートとして
「大きな玉ねぎの下で」「旅人よ」「RUNNER」のギターを弾いています。

控え室に通されてまず目に入ったのが線量計。
何マイクロシーベルトなのか、ひと目で分かる装置ですが、
こういうのを見ながら過ごさねばならない日々というのは思うところがやはりありますね。

郡山慰問ライブ
場所を薫小学校に移して、ライブ。
整列して御行儀よくして聴いている児童の皆さんの前で歌うんですが、
これが、運動会などでもお馴染みのRUNNERが始まると激変。
一気に、たった1曲で雰囲気がノリノリに変わってしまうのです!
なんという歌の力。

郡山慰問ライブ
先生方の中には僕らと同世代の方も多くいて「学生時代にファンでした!」なんて目をキラキラとさせてらっしゃる方もいて、歌は本当に、時代を越えて気持ちを繋げるものだなぁ、ということを実感します。

素晴らしい経験をさせてもらっているサンプラザ中野くんに、
いつも感謝しています!

投稿日:2012年10月01日(月) 12:54:20

YSFH蒼煌祭
横浜サイエンスフロンティア高校の学園祭、蒼煌祭。

YSFH蒼煌祭
自分の写真がなくて残念なんですが、
朝早く体育館に集まった全校生徒の皆さんの前で校歌「知の開拓者」を歌わせて頂きました。
若き情熱が滾ってますねー。

YSFH蒼煌祭
一期生しかいなくて、新しすぎて馴染みのない校舎で何もかもが手探りだった最初の頃に比べると、いい意味での安定感がすごく出てきましたね。

開会式では、各クラスの出し物をステージ上で紹介する、というお決まりのコーナーがありまして、出番のあと、体育館の最後列で腹を抱えて笑ってました。
仮装したり、ステージ上で踊ったり演じたり、プロジェクタをうまく使ったCMや映画予告編みたいなのだったり、各クラス思い思いの出し物なんですが、YSFHの伝統としてのプレゼンテーションのうまさはもちろん、PCスキルも大したものでした。

一番感動したのは、
ほんの少しの工夫でこんなにおもしろくなるんだよ、とアイデア一捻りしただけのシンプルな作品。
こういうことだよな、と膝ポン。やっぱし賢い。YSFH生。

僕は高校の学祭が音楽活動の原点でした。
Guns and Roses「Welcome to the Jungle」を学ランで絶叫していた高校1年。
恥ずかしすぎて記憶から消えかかってましたが、残像復活。

そう考えると
いま、目の当たりにしてるのは世界に羽ばたく科学者たちのアイデアの原点というわけで、
・・なんだか、ちょっと胸にグッと来たのでした。

投稿日:2012年10月01日(月) 12:37:24

石野田奈津代ちゃんライブ
大阪・cafe茨木湯ライブ、東京渋谷ジージと、
石野田なっちゃんとの「おいしいライブ」のゲストで出演しました。

まず大阪、こちらはもともと銭湯だったところを改装したお店です。
脱衣所がcafeとして営業、さらに浴室がイベントスペースとなっているわけですが、
関西の銭湯の浴槽って真ん中に丸くお湯が溜めるめずらしい形でした。

もちろんライブハウス仕様となっているので一切水気がないのですが、
天然のリバーブが心地良い素敵な空間でしたよ。またここで歌いたいな。

ライブ途中夕立があり、ゴーッと物凄い音をたてていましたが、
それもまた特殊効果のようで、場の雰囲気をあったかくさせていました。

石野田奈津代ちゃんライブ
写真で手に持っているのはなっちゃんのふるさと神津島のお弁当。
オリジナルデザインした手ぬぐいを巻いて、とっても心のこもった作品に仕上がりました。

大阪・東京と続けざまにご一緒させてもらって気付いたのは、
なっちゃんチームはスタッフさんが本当に心を使って仕事をしている。

一手間加えたグッズ制作、CD制作、配布物の紙質に至るまで、
ちゃんとこだわったことが伝わる見せ方、アイデアを具現化している。
もちろんその真中にあるものはなっちゃんのか細く真っ直ぐな力強い歌で。

そのバランスに、清々しさを感じて、素直にいいな、と思ったのでした。
なっちゃん、スタッフの浦さん、本当ありがとうございました!