黙祷

長崎に原爆が落とされた日。
6日の広島と相まって僕たちは覚えている。
やはり人って、被害を受けたことは忘れない。
どれだけ謝られても、殺されたり傷つけられたりしたら、跡が残るね。
生きてても些細なきっかけで痛みを思い出し、ツラくなってしまう。
やりきれない。
僕は大学の頃中国を旅行した際、南京に足を運び、ある記念館を訪れた。
憎悪を忘れないことは、彼の国の教育において重要であるという。
僕たちの今日の日が憎悪の記念日だとしたら、何に対する憎悪だろうか。
でもそう言われても、僕は中国が大好きだ。
上海の大学で一緒にバスケして、試合後に汗だくの体で抱き合ったことを忘れない
と思う。みんなエネルギッシュで、人想いで、いいヤツ。複雑。
加害者にも同様に痛みがあって、心に傷が残る。
でも、うやむやにせず、議論をすりかえず、
事実を忘れないように生きようとする姿、僕はそれを尊いと思った。
深夜にやってる俵さん司会の番組を見た。
戦争を陸軍、海軍で体験した、お年は85歳とか92歳とか、そういったご老人が集まって、
太平洋戦争の話をしていた。というか、僕は見たことも経験したこともない殺し合いの
様子をつぶさに聞かせてもらっていた。
後方からの補給が不足して無残な退却を強いられたインパール作戦の兵隊だった方、
「武蔵」という大きな軍艦に乗って、沈没から漂流を経て奇跡的に助かった方、
攻め入った中国本土で捕虜として捕らえられ、数年後に帰還した軍医の方、
自爆を前提とした兵器の魚雷「回天」・人間爆弾「桜花」出撃寸前で終戦を迎えた方、
ほか、壮絶な戦闘の状況の話。
指揮する者のマインドがいきすぎた感情論的美学に基づいていたということ、
錯綜する情報で混乱していたこと、勝ち目のない戦争に突入していく当時の世論、
愛国のための「死」という選択肢があったこと、終戦後のやりきれない思い、など。
戦争などしないに越したことはないが、なぜ戦争をはじめ、戦争に負けたのかと言うと、
「周りの状況を知らなすぎたから」だと、断言されていた。
間接的にメディアから得る情報よりも(とはいえテレビだったわけですが)、ご老人が
忘れないようにと手書きで整理したメモを一生懸命に読む姿、聴こえづらくなっている耳
で司会者の問いかけに誤解なきよう一生懸命応じる姿にグッときて、画面から動けなく
なっていた。みんな非常にPoliteだ。
誤解って恐ろしい。それを良く知っているから、真摯に自分の発言に責任を持とうとされて
いたのではないかと思う。敬服する。
加害者の痛み、忘れないように弔い続ける気持ち、とともに垣間見えたのは、
日本人としてのアイデンティティの喪失に対する危惧であった。
戦前の日本にあって、戦争で失ったもの。
それは精神的な支柱であると。
どこのくにでも、
人は、あたりまえに家族を愛し、友達を愛し、地域社会や郷土を愛している。
これらは、私たちが「くに」を愛するという思いになんら変わりないと。
ご老人たちがいうには、現在の日本(の人)は自己卑下し、自己中心的であると。
いきすぎちゃいけないんだが、自分たちの「くに」を愛することを忘れてはいけない。
(※くにとは、国家とか、政権とか天皇とかではないと仰ってました)
それは、加害者の痛みとは別の、失ってはいけない、大切なものなのだと仰る。
行き過ぎて軍国主義が再び復活するのでは、という被害者の懸念はどうすれば払拭
できようか。
僕は、戦争を知らない。
被害者の痛みも、加害者の痛みも、記念物でしか知ることができない。
だけど、
育った街横浜に対する愛情、時間を共にした人への思いは形にすることができる。
くにを愛する気持ちを悪意とされずに、その魂を持つ男になりたい。
僕一人じゃなく、時代として魂を持つにはどうすればいいのだろう。
僕らの世代で無理なら、次の世代で芽生えたらいいな。
子供たちに、一番教えなくてはならないことはそれなのかもしれない。
今日ニュースで、
長崎の若い人たちが、平和への願いを込めて署名活動をしたり、
原爆関連の施設を案内する活動を行っているということを知った。
なんだか、ちょっと感きわまった。
なんつーか、
誤解されずに、僕の思いが、みんなに伝わったなら幸せです。
2005年08月09日 19:59
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