言葉と音楽

今日はひょんなことで知り合ったお友達からお誘いいただいて、
下北沢440(フォーフォーティ)に行ってきた。なにげに初440潜入。
上海で生まれ育ったZOE(ゾイ)さんのライブ。全曲カバー曲。
「恋におちて」「卒業写真」「サボテンの花」などなど・・日本に残る素敵な名曲たち。
非常に素敵な歌声とキュートなMCでした。
そういうライブは何度か、聞いたことがあるけど、
彼女はほぼ全部、中国語詞で歌った。これは新鮮。
とともに、僕にとっては少し懐かしかった。
僕はちょこっとだけ中国語(普通話・プ-トンホヮ)がわかる。
自分でもピンインはめちゃくちゃながらも簡単な生活用語なら話せる。
可以説一点(クーイーシュオ、イーティエン)。だいぶ忘れたけど。
大学2年の頃、
横浜市と上海市が姉妹都市である関係で、交換留学のような感じで夏休み1ヶ月、上海の大学に語学留学をした。試験に受かると、公的なお金(つまりタダ)で渡航することができると聞いて、中国語を再復習したり、中国のことを学びたい熱意を論文に書き、面接でその思いを伝えたりして、なんとか公費のやつに受かり、熱すぎる夏を上海で過ごすことになった。
ちょこっと話せるのは、熊(ション)先生という、雲南省から来た先生にみっちり鍛えられたおかげだ。1994年の上海といったら、まだ古い建物を壊し道路を拡張してる最中。リニアモーターカーも走ってなかったし、東方明珠(あのでかい塔)も工事中だった。女の子の口紅は真っ赤。スタバはなかったし、やっとみつけた缶コーヒーは激甘だった。街の人には英語が通じず、片言中国語か、筆談でコミュニケーションをとってた。
その頃中国は、ロック音楽を演奏すれば処罰(!)される、そんな時代だったように記憶している。道端の露店でカセットを買った。当時取り沙汰されていた崔健というロックミュージシャンの「紅旗下的蛋(BALLS UNDER THE RED FLAG)」のやつだ。何を歌っているのか実はさっぱり分からなかったけど持ち帰って日本でよく聞いてた。上海ではピンインの美しい旋律を生かした昆劇の歌が好きでよく観劇しにいったけど、POPな歌は全然聞こえてこなかった。
15年たった今、
こんなに素敵な上海出身の女性歌うたいが、下北沢440でライブをやっている。
あの頃南京路(ナンチンルー)や外灘(ワイタン)ですれ違った女の子かもしれないとか思うと、ちょっと感無量なのであった。
きょうZOEさんが歌った中で一番心にずしんと来たのは、
La La La・・
オフコースの「言葉にできない」であった。
2009年06月18日 04:03
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