日記

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投稿日:2010年09月19日(日) 2:55:36

歌うということはすごくエゴイスティックな行為だと思う。
ほとんどの場合、自己満足のために歌うのだ。
自分が、きもちいい。そのために歌うのだ。

たぶん歌うたいも最初の一歩はそうだ、
最初の一歩どころか、
どこまでいっても「自分がきもちいい」を出られない人もいる。

人前で歌って、
沢山たくさん歌って、
歌うとき、よく考えていることがある。

この歌は果たして、
人がきもちいいと思えるものであろうか
僕が、自分がきもちいいと感じている状態を飛び越えてくれるだろうか

つまり

心配する。臆病なほど。
聴いてる人に届いているだろうか、と考えてしまう。勘ぐってしまう。

で、
そうやって気を遣って考えているとき
歌はたぶん届いていない。

僕が無心できもちいいなぁ、
今思っていることを代弁するような歌だよなぁ

「考える」ことから解き放たれる瞬間、
届いて、歌はもう響いてしかたがなくて
なんというかファンになっちゃうくらいなものだと思うのです。その人の。
考え方や状態含め。

営業スマイルとカッコつけることが振る舞いとして対極にあるとして、
人がきもちちいい、は自分がきもちいい、の対極にはないと思う。
自分がきもちいいに内在するものだと思う。

自分がきもちいいを突き詰めた、
徹底的に突き詰めたところにあるわずかな煌きだと思うのです。

照れや虚飾は本質を見えづらくする。
そう考えると、自己満足はむしろ出発点だ。

「昇華する」 ことさえできれば。
それができる魔法石は限られた人しかもってなくて。
きっと持ってると信じてて。

昇華しなければそんな歌ただの自己満足だ、
箸にも棒にもかからない、どうしようもないものだ。

歌うときは、
徹底的にきもちいいなぁ、と

いう自分を作らずに偽らずに

本音できもちいい瞬間を、
1つのライブで一瞬でもいいので感じたいなぁ、と思います。

ひとのため、と書けば「偽」になる。

本質がちゃんと見えてさえいれば、
自分のためを突き詰めるだけでいいのだ。

ヘヘヘイ。